京谷弘司プロフィール
今は亡きアルゼンチン・タンゴの巨匠アストル・ピアソラから「近い将来アストル ・ピアソラのライバルとなるコウジへ!素晴らしい音楽に乾杯!」と喜びのメッセージを受けた日本が誇るバンドネオン奏者。

京谷弘司は若くしてタンゴの世界に入り、わずか20歳で日本のタンゴ史に残る楽団である早川真平とオルケスタ・ティピカ東京の第一バンドネオン奏者となり、常に第一線で活躍し、その卓越した演奏力は本国アルゼンチンでも知られる存在となっている。

1985年4月、アルゼンチンに渡り、自身の勉強と現地の状況視察、帰国後、文化交流の一環として中国に招かれ、北京・天津で計6回の公演を行い、大好評を博す。

1996年暮れには自身の率いるクァルテート・タンゴの初アルバムとし「レコルダシオン」がリリースされた。このCDの中の数曲はブエノス・アイレスで録音され、ヴァイオリンとベースにはピアソラのキンテートで長く活躍していたF.スアレス・パスパスとH.コンソーレが参加している。

1998年8月ブエノス・アイレスの国立セルバンテス劇場にてオルケスタ・ティピカ東京のバンドネオンソリスタとして出演。

2002年3月グラナダ・タンゴ・フェスティバルにクァルテートで出演し、大喝采、スタンディング オベーションを受ける。

2002年9月にはアンドレ・ギャニオンのコンサートに賛助出演。

2003年7月には東京オペラシティコンサートホールでチョン・ミョンフン指揮による「ミサ・タンゴ」(日本初演)に出演。

2003年8月ブエノスアイレスにてCD作成。自身のオリジナル曲を含む全曲をアルゼンチンのミュージシャンと共に録音(タイトル:モノローグ) 。

2003年12月には実力ナンバーワンのレオポルド・フェデリコ楽団の日本公演ツアーにゲスト出演が決定 日本各地でのコンサートに参加する。

2004年7月CD《モノローグ》をリリース。

最近はオーケストラの演奏活動も盛んに行われ、日本フィルハーモニー、東京フィ ルハーモニー、新日本フィルハーモニー等に招かれ、バンドネオンソリスタとして共 演する機会も数多い。また、作曲・編曲にも意欲を燃やし、自作の「シエンプレ・ア ・ブエノスアイレス」「レコダルシオン(回想)」「プグリシモ」等はタンゴの魂を持っている曲と 賞賛されている。 タンゴに対する真摯な姿勢は、自ずとその音楽性にも現れ、一度 聴いた人の心に深く感銘を残すと言われている。

テレビ出演も多数あり、2003年5月TV朝日「題名のない音楽会」、2004年1月NHK「公園通りで会いましょう」に自身のクァルテート(四重奏団)で出演。